映画 『ボーイズ・オン・ザ・ラン』
走れ!!
僕らのイケニエとして
僕らのイケニエとして
現在公開中の映画『ボーイズ・オン・ザ・ラン』を観に行った。同名コミックの映画化作品で、2006年に岸田國士戯曲賞を受賞したポツドールの三浦大輔が脚本・監督を手がけている。主演は銀杏BOYZの峯田和伸。僕は、この峯田が演じる主人公、田西(たにし)を見ていて、切なくて仕方なかった。
あらすじは――不器用で口下手で、何かと空回りの多い29歳の営業マン田西は、同僚のちはる(黒川芽以)に思いを寄せている。ライバル会社の青山(松田龍平)の手を借りて、なんとかちはると親密になれた田西だったが、ある事件をきっかけにちはるに軽蔑されてしまうことに。その後、ちはるは青山と付き合い始めるが、妊娠させられた挙句捨てられてしまう。それを知った田西は、青山に決闘を申し込む。
冴えない男が恋をきっかけに成長していく、というのは物語の定石の一つだが、この『ボーイズ・オン・ザ・ラン』は、そういった一般的なビルドアップ・ロマンスとは異なっている。なぜなら、最後まで田西には救いというものが訪れないからだ。救いとは「この主人公は、明日からきっと(ほんの少しだとしても)幸せな人生を送るだろう」という予感のことである。それがこの映画にはない。田西はタイトルの表すとおり、ひたすらガムシャラに走りまくって、その過程でボロボロに傷つきまくるだけなのである。切ないのだ。
田西というキャラクターには吸引力がある。だがそれは、彼の不器用さやかっこ悪さがいじらしいからではない。彼のちはるを思う気持ちに魅かれるのだ。劇中、田西は言う。「おれ、本気になれるの、ちはるさんのことだけだった」と。この台詞がえらく心に沁みる。
本気になれるということは、エネルギーを注ぎ込める何かを持っているということだ。だが、その何かを見つけるのは、実際にはひどく難しい。いかに多くの人が本気になれる何かを見つけられず、エネルギーを持て余しているのかは、趣味的な資格試験の受験者の増加や、満員続出のカルチャー・スクールの習い事教室を見れば明らかだ。
エネルギーのハケ口としてもっとも手っ取り早いのは恋愛だ。しかし、本気で人を好きになるのは、それはそれで難しい。大人になればなるほど、気持ちは自然とコントロールできてしまうし、傷つかないように演技をすることも上手くなる。田西ほど女性に対しておっかなびっくりな人間は現実には稀だが、それはこのキャラクターがリアルでないということではなく、単に現実の僕らが処世術に長けているからにすぎない。だからこそ「本気」という言葉を口にできる田西に魅かれてしまうのだ。
しかし、田西は結局は報われない。たとえ本気になっても、良い結果が訪れるとは限らないとこの映画はいうのである。「ちょっとくらい田西に良い目を見させてやれよ」と思う。だがその一方で、もしこれが明快なハッピーエンドであったなら、果たして僕はこの映画に魅かれただろうか、とも思う。ちはると結ばれたり、青山をボコボコにしてやっつけるようなラストであれば、スカッとはするだろうが、リアルは感じない。そう簡単に報われたら、こちらとしてはたまったもんじゃない。簡単に報われないからこそ、大人は本気になりたくてもなれないのだ。
田西は観客のリアルを一身に背負い、ある意味観客の人身御供として、本気で人を好きになり、本気で傷だらけになる。そして、何もかもが無惨な結果に終わりボロボロになった田西は、街の中を全力疾走する。涙を拭い払うためなのか単なるヤケクソなのか、田西が走りながら何を考えているのかはわからない。ただ、そんなボロボロになっても人は全力で走れるんだという、奇妙な感動がある。その田西の走る姿を映して、映画は終わる。
田西を演じる峯田和伸の存在感は圧倒的。名演を通り越して“絶演”とも言うべき壮絶な芝居を見せており、彼を観るためだけでも映画館に行く価値があると思う。早くも今年の最高傑作の1つに出会ってしまった。
『ボーイズ・オン・ザ・ラン』予告編