舞台美術家として(佐藤武明)
初稽古以来、久々に稽古場に行きました。
舞台美術の僕はそこではわりとのんきです。
僕の仕事は役者とスタッフそしてお客さんを
舞台世界に引き込む効果のうちのひとつを創ることだと思っているので、
あまりそれ以上のことは考えません。
だから役者の練習を見ながら、
本番のステージのイメージを思い描くことが僕が稽古場でやることです。
そんなわけで頭の中は夏真っ盛りです。
練習を見ながらかなり好感触を得ました。
きっと熱い芝居が出来上がる!と確信しました。
僕は今回も“引き込む舞台”を目指します。
役者(渡邉優子)
私も姉ちゃんに「どうして役者やってるの?」と聞かれました。
う〜ん、なんでだろう?
私は非常口でもなかったし、演劇部でもなかった。
お姉ちゃんが役者をやっていても、「演劇」という先入観が強く、興味すらなかった。
でも、ななえちゃん達の代の非常口を観て、感動した。
普通の高校生達が、私の目にはテレビに出ている有名人のように感じた。
すごい!やってみたい!
でも、私は人前で何かをするのは苦手だし、なにより演劇をやる機会もなかった。
だから演劇を観ることにした。
でも、観れば観るほど役者をやってみたいという気持ちが大きくなった。
だから、『Goodbye, Christmas Eve』で役者をやれることになって、すごく嬉しかった。
でも、私が思っている以上に、役者というものは辛かった。
相手とのコミニュケーションや見せ方など、やることが沢山あった。
はっきりいって、やめたかった。
しかし、公演を終えて、「あぁ、やってよかった」と思った。
それ以上に「BRIDGEでやれてよかった」とも思った。
私は今まで、「仲間」と言える人達がいなかった。
中学校の部活もいじめとかがあったし、高校もバイトばかりしていて、友達も少なかった。
けれど、BRIDGEは私が絶対に知り合えなかった人達との架橋になった。
おもしろくてやさしい人達ばかりだ。
そんな人達と一緒に芝居を創れて、とてもしあわせ。
私が役者をやっているのは、自分が演劇を好きになったように、
色んな人達にも芝居のおもしろさを知ってもらいたいというのと、
私の大好きな人達と一緒に芝居を創りたいということです。
BRIDGEで役者がやりたいのです。
独り言(水戸和浩)
最近のおれってどうなんだろう?と、よく考えます。
今日も稽古の後のアトリエでセイ先輩に「なんで芝居続けているの?」
「1年目の水戸くんと比べて随分と変わったよね。」と、こんなことを言われました。
帰りの車の中でも、このことについていろいろ考えてました。
シャハラザードに始まり今に至るのですが、
2年間という時間の距離は旗揚げの頃の自分と比べるちょうどいい距離かもしれません。
1stと2ndでももちろん外から見れば違いはあるのでしょうが、
外部公演をへて今になって、「おれって少し変わったな。」と
自覚できるようになりました。
1stでは「舞台に立つことっておもしろい!」、
2ndでは「自分の演技でお客さんを感動させたい!」、
外部では「おれはおれの役割をきちんとこなす。」。
今までの舞台の心境みたいなものを極端に、あくまで極端に表せば上のようになります。
3rdにおいては「この作品をいい芝居にするために、おれはどうあるべきか。」です。
なんかかっこつけてるセリフみたいでいやなんですけど、これです。
台本を受け取った次の稽古の時にキャストは
この作品に対する質問を各自一つずつ考えてくるという課題が出たんですが、
そのときも「おれはこの作品でどうあればいいかな?」と質問しました。
なにも意識せずスムーズにその質問がおれの心の中にはあったのです。
1stのときのおれから考えれば、ほんとうにありえないことです。
舞台にたつたびに、いろいろな役をやらせていただいているんですが、
演技における技術よりも、”その芝居における自分の位置”というものが
自分の芝居の考え方を変えてくれたんだと思います。
準主役的な川本。主役の冬二。サイドにまわる新兵衛。
そして2線(意味わかるかな?)を張るレッド。それぞれ位置が違います。
いろいろな役の心境より、芝居において自分の役が置かれている位置が
演じる側の作品に対する視点を多彩にしてくれたんです。
今まではこの感覚がなかったため「全力で演じればそれが最高傑作だ。」
と言ってしまっていたんだと思います。〔今もその傾向は大いにありますけど。)
今になってやっと”演技”と”芝居”をうまくリンクできるようになってきました。
(ホント遅ぇ・・・)
役の立場を知り、そしてそれを考える分だけ幾分動きに慎重さがうまれます。
その慎重さをパワーダウンとイコールでむすんでしまうような認識が
ここ最近自分の中にあり、ここ最近自分の演技に対して違和感というか
”しっくりこない感じ”が続いていたんです。
ただ単純に暴走してたころは“慎重”なんて言葉はおれの中になかったですし。
それはそれで魅力的なんですけどね。〔笑〕
でも、慎重さが生まれた自分が暴走できないとは思えないんです。
やはり「非常口」や「1stBRIDGE」があってこそ、今の自分がここにいるわけで、
“暴走”の2文字は自分にとって芝居の原点であると思うから。
最初にもどって、「なぜ芝居を続けているの?」という質問について。
今現在もその質問に対していろいろ考えているんですが“答え”は出ません。
「好きだから」「自分らしくいられる場所だから」
と片付けてしまうこともできるんですが、それだけじゃ何か物足りないんです。
今ここでBRIDGEという団体に参加している事実が“答え”なんだと思います。
どんな心境でどんなスタンスでいるのか、その都度異なるんでしょうが・・・。
その、言葉では言い表せないところに自分のその時の“真”があると思っています。
今自分の目に映っている風景と、2年後に映る風景はきっと違うものだと思うから、
だから「これはこうだ。」と言い切れないですね。
なんかまとまらない文章ですいません。
なにを言いたいのかわからなくなってきちゃったよ。
変化しつつある自分に戸惑いを感じてはいるものの、
やはりおれは走ることしかできません。
立ち止まってよく考えて行く先を定めるといった器用なことはできません。
走って走って辿り着いたところがどんな場所であっても、
そこに映る風景を楽しめる、そんな気がします。
夏公演が終わった後の風景ってどんな感じなんだろうな・・・。
お客さんに映った風景と同じ風景がおれの目にも映るといいなぁ・・・。