『柔らかな頬』『OUT』桐野夏生
暗く重い空気が紡ぎだす
主人公たちとの不思議な共有感覚
主人公たちとの不思議な共有感覚
作品に流れる空気は暗く、重い。不景気のあおりで倒産寸前の零細企業や、借金の返済に追われ、娘の修学旅行費用も払えないほどの低所得家庭といった、物語の舞台や物理的背景だけが理由ではない。登場人物たちは皆孤独であり、心に刻まれた傷は深い。そしてその傷は物語のなかでさらにえぐられ、ぐいぐいと傷口が広げられ、その傷口のなかに黒い闇がのぞく。物語を覆うのは、雨の降った夏の日の夜のような、閉塞感のある湿気を含んだ重い空気だ。ラストにいたってもこの空気に光は差し込まず、容易な救いは訪れない。
『柔らかな頬』の主人公はカスミという名の30代の女性。ある日、5歳になるカスミの長女が消える。事件なのか事故なのか、手がかりはまったくない。やがて警察の捜査は打ち切り同然となり、カスミは一人で娘を探すことになる。不倫相手の石山との別れ、娘の捜索を諦める夫、周囲から向けられる、痛ましいものを見るような視線。一つひとつがカスミを孤独に追い込む。事件から何年も経ち、新興宗教や未解決事件を特集するテレビ番組にまですがるカスミは、娘を探すことが自分の生きる目的になってしまっていることを自覚している。そして、残った次女を、長女ほどには愛せない自分に絶望する。
『OUT』の主人公は弁当工場で深夜のパートをする40代女性、雅子。ある晩、同僚の弥生が暴力を振るう夫を殺してしまう。雅子は別の同僚、ヨシエと邦子を仲間に引き入れ、弥生の夫の遺体を切断し捨てる。物語の前半はいろいろな登場人物に焦点を当てながら進むが、後半はほぼ雅子だけに絞られる。ヨシエと邦子は金欲しさに死体の処理を手伝うが、雅子は違う。夫との家庭内別居、雅子と口を利こうとしない息子。深く根を張った孤独が、新たな人生への扉のごとく雅子を死体の処理へと向かわせる。
カスミも雅子も、孤独に苦しみ、脱出を願っている。一体何が彼女たちを孤独にさせたのか。一体どこでボタンを掛け違えたのか。具体的に挙げて、一つひとつを修復できる時期はとうに過ぎ去っている。事件をきっかけに孤独になったのではなく、事件をきっかけにカスミも雅子も、自身が回復不能なまでの孤独に陥っていることを自覚したのだ。だからこそ彼女たちの脱出への願いは悲痛だ。
しかし、作品で描き出される闇の深さは、間違いなく生への強烈な意志だ。より良く生きたいと願うほど、より深く闇を直視し、傷を抱え込まなければならないと言ったら、悲観的すぎるだろうか。だが、ページをめくるたびに生への渇望感は強くなるのだ。
カスミも雅子も、ラストにいたっても孤独は癒されず、脱出を願う毎日がこれからも延々と続くだろうという予感しかない。しかしこれは、本を読み終えても僕の人生は続くことと同じだ。救いなどなくても毎日を生きていくしかないという諦念は、2人の主人公との不思議な共有感覚を抱かせる。2人の代わりに、僕のなかに光が差し込んだ気がした。
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突然のコメント失礼します。
生への渇望感に関してとても共感しました。
私は「柔らかな頬」しか読んでいませんが
この重さが生きる重みなんだろうなあって思っています。
カスミの強さは魅力的でした。
TBさせていただきます。