「鬼気迫る」とは
彼女のことだ!

 白人女性ブルースシンガーの最高峰、ジャニス・ジョプリンの代表作であり、彼女の遺作となったアルバム。この『パール』のリリースを3カ月後に控えた1970年10月4日、ジャニスはヘロインの過剰摂取で亡くなってしまう。

 今から40年も前のアーティストである。ロック雑誌などで彼女のことが語られるとき、必ずと言っていいほどセットになるのが、ヒッピー・ムーブメントやサマー・オブ・ラブといった当時の世相やカルチャーだ。81年生まれの僕には、そういった時代の空気はよくわからない。

 僕が感情移入するのは、彼女の年齢である。享年27歳。その若さで、なぜこれほど鬼気迫る歌声を聞かせられるのか。同い年の僕は、ただただ圧倒される。


 高校時代からシンガーを志したジャニスは、20歳のときに地元テキサスを離れ、ヒッチハイクをしながらサンフランシスコを目指す。当時のサンフランシスコはヒッピーなど当時の若者文化のメッカというべき街。彼女はそこで、コーヒーバーなどで歌いながら歌手になるチャンスを待ち続ける。

 転機は24歳のときに訪れる。67年に行われたモントレー・ポップ・フェスティバル。20万人以上を動員し、ジミ・ヘンドリックスがギターを燃やしたことでも有名な、伝説の野外コンサートである。前年に加入したビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーのボーカルとしてステージに立ったジャニスは、その圧倒的なステージングで聴衆からも音楽業界からも一躍注目されることになる。

 その後バックバンドを変えながら3枚のアルバムをリリースし、ウッドストック・フェスティバルをはじめ、大規模なステージでライヴを行い、大スターとなったジャニス。そんな彼女が、新たに結成されたバックバンド、フル・ティルト・ブギーとともに制作に挑んだのが、この『パール』だった。


 ジャニスは決して「美声」の持ち主ではない。以前本稿でシュガーキューブスを紹介したときに、ビョークの声を「地上でただ一つしかない楽器」と書いたけれど、ジャニスの場合はそれとは対照的。無数の引っ掻き傷を受けたかのようにかすれ、引きつれた歌声は、持ちうる情念の全てを叩きつけるかのようであり、そこには楽器的な美というよりも、一人の女性の人格そのものがさらけ出されたような生々しい迫力がある。まさに「ソウル」。

 女性シンガーだからと言って、ジャニスには「歌姫」という呼称は似つかわしくない。刹那的で激しく、夏の日のスコールのように歌うジャニスは、姫というよりもむしろ魔女のようだ。だがその魔女は、狂おしいほどに激しい雨を降らせた後、陽炎という名の儚く切ない夢を見せる。


件のモントレー・ポップ・フェスティバルでのジャニス

『パール』の1曲目<Move Over>。邦題は<ジャニスの祈り>

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