People In The Box 『Ghost Apple』
今ここにある「生」と
すぐ隣にある「死」と
すぐ隣にある「死」と
福岡出身のバンドPeople In The Boxが先月リリースしたばかりのミニアルバム。全7曲とボリュームは少ないが、この作品はとても聴き応えがある。
バンドのメンバーは波多野裕文(ボーカル/ギター)、福井健太(ベース)、山口大吾(ドラム)の3人。編成はごくありふれた3ピースバンドだが、彼らの鳴らす音と世界観はかなり特徴的で、不意に耳にしてもすぐに「People In The Boxだ」とわかるのではないだろうか。
まず、変拍子が異様に多い。リズムというものが一つどころに落ち着かず、3/4→4/4→5/4というように絶えず変化を求めて彷徨っている。コピーしようと思ったら、さぞかし煩瑣な譜面を相手にしなければならないだろう。リスナーはフラフラとおぼつかない足取りを強いられながら聴き進めていくわけだが、しかしそのような不安と緊張が、なぜか次第に心地よくなる。一見支離滅裂なリズム構成だが、その実聴く者の生理にピタリとハマるように計算されていて、病みつきになってしまうのだ。
変拍子の多用はソングライター波多野の詞の世界を描くうえでも、必要不可欠なファクターである。彼の書く詞はバラバラのセンテンスをコラージュ的にくっつけた非常にイメージ主義的なもの。1曲のなかで物語が完結する類のものではなく、リスナーは言葉の断片を拾い集めながら、自身のイメージで隙間を埋めていかなくてはならない。僕はどことなく草野マサムネの詞に似ているように思った。もっとも、技法は似ていても世界観はまるで違う。
波多野の詞を特徴づけるのは薄っすらと、しかし一貫して漂う「死」の匂いである。バラバラに継ぎ接ぎされた言葉の群れがある一定以上に拡散していかないのは、「死」というテーマが重心となっているからだ。
彼の描く死は何かのメタファーというわけではなく、「死」そのもの。日常のなかにありふれた、すぐ隣に存在するものとして死を描いている。明日自分の身に死が訪れてても不思議はないし、一度死に捉まれば人間の命はあっけなく終わる。彼の描く死は実に淡白で軽い。
そして、「死」をファインダーの中心に据えることで、今度は「生」が逆照射されてくる。ただし、「死」が軽いということは、背中合わせの「生」もまた軽く、おぼろげで儚いことを意味している。そのような根本的不安感漂う歌詞と、変則的なリズム構成との組み合わせは見事にマッチしていて、表現技法の選択として必然的である。膨張と収縮を繰り返すリズムは危うい緊張感を煽ると同時に、か弱い「生」の胎動にも感じられて、グッとくるのだ。
本作に収録された7曲には、タイトルにそれぞれ曜日が冠されていて、1曲目から順番に月曜日、火曜日、となってラストが日曜日になる。7曲トータルで聴いて、初めてイメージが湧きあがるというコンセプチュアルなアルバムだ。ただし、曲がわかりやすくひとつづきになっているわけではない。波多野の詞同様に、曲と曲もまたコラージュのようにバラバラに配置され、その見えるか見えないかのつながりをリスナーが想像していかなくてはならない。「行間を読む」ならぬ「曲間を読む」とでも言うべきか、この『Ghost Apple』という作品の実体は言葉と言葉の間、曲と曲の間、至るところに設けられたスカスカの空間の中にこそあるのかもしれない。
People In The Boxにとっては本作がメジャー・デビュー作品。にもかかわらず、こんなに挑戦的で好き勝手やっているようなアルバムを作ってしまう姿勢は素敵だ。
アルバム1曲目<月曜日/無菌室>。この曲だけは変拍子が出てこないので、本文で触れたニュアンスが伝わりづらいのですが、生憎この曲しかPVがありませんでした。それにしてもメジャー作品とは思えないダークな映像!
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