映画『容疑者Xの献身』
原作以上の色彩を浮かび上がらせた
“容疑者X”堤真一の演技
“容疑者X”堤真一の演技
昨夏、『デトロイト・メタル・シティ』『20世紀少年(第一部)』と、マンガを原作とした映画が公開された。両マンガともにファンである僕は、映画の出来に落胆した。原作ファンが実写化作品に失望する理由は一つしかない。原作の面白さが損なわれているからだ。
『デトロイト・メタル・シティ』は主人公の成長譚という要素を加えてしまったがために、本質であるはずのギャグ部分が霞んでしまったし、『20世紀少年』は原作の膨大なドラマを上映時間に詰め込むために、物語の進行上必要なシーンを切り貼りしただけの、なんとも無味乾燥な映画になってしまった。
原作ものの実写化は往々にして原作の持つ魅力に届かず、「実写化した」というだけのイベントになってしまいがちである。そんなことを考えていたので、『容疑者Xの献身』もあまり期待していなかった。だが観終わって驚いた。マンガと小説、メディアの違いはあれど、この映画は上記2作とは違って、“原作もの実写化”の成功作だった。
周知の通り、この映画の原作は東野圭吾の「探偵ガリレオシリーズ」。もともとは短編の連作小説として1996年から雑誌上でスタートした。現在『探偵ガリレオ』『予知夢』として文庫化されている。これを基にしてフジテレビが『ガリレオ』というタイトルで2007年にドラマ化する。映画『容疑者Xの献身』は、05年に上梓されたガリレオシリーズ初の長篇(タイトル同名)を原作として、ドラマの派生版という形で映画化されたものだ。
原作は非常に淡々としている。冒頭に事件が起き、それを追う“ガリレオ”湯川や警察の様子が、ただ時間の経過に沿って描かれる。『白夜行』などに見られる、登場人物たちの思惑が渦をなして進むようなダイナミズムはない。あまりに淡白なので、このまま終わってしまうのではないかとフラストレーションを感じてしまうほどだ。
このフラストレーションは最後の最後で一気にカタルシスに昇華する。“容疑者X”石神が施したトリックが解明される場面がそれだ。石神が一体何をしたのか、真実が湯川の口から語られた瞬間は、驚嘆の一語に尽きる。『容疑者Xの献身』という、やや語呂の悪いタイトルの意味が、ようやくラストで真に理解できる仕掛けだ。
実写化に際しての最大の課題は、この石神というキャラクターの存在感をいかに表現するかだったはずだ。そしてそれは成功した。石神の描写は実に丹念で、且つ時間もたっぷりと使われている。その分、ドラマ版とは雰囲気が異なっている。例えば、ドラマでは毎話のお決まりとして湯川が謎を解くときにあちこちに数式を書きなぐるシーンがあるが、映画ではそれがなく、湯川のエキセントリックさは鳴りを潜めている。ドラマからの継投キャラクターも、登場場面はごく限られている。だが、ドラマ版と区別したことで、原作が本来備えていた「石神の物語」という部分が、原作以上に鮮やかな色彩を伴って描かれている。
そして、なんといってもこの映画の「勝因」は、石神役に堤真一を配したことだろう。彼が演じる石神は不気味で、そして純粋だ。彼の演技は石神という紙上のキャラクターに深い陰影と体温を与え、原作以上の石神を作り上げている。特にラストシーンにおける松雪泰子との場面は素晴らしい。物語のなかで唯一石神が本心を露わにする場面だが、原作の「魂を吐き出すような」という描写の如く、圧巻というべき演技を見せてくれる。
oasis『Dig Out Your Soul』
結成14年目、
“バンド”oasisの誕生を謳う1枚
“バンド”oasisの誕生を謳う1枚
新年1発目に紹介するのはoasis。
僕がoasisのCDを最初に買ったのは、世界中で驚異的に売れた彼らの2ndアルバム『Morning Glory』(95年)だった。当時高校1年生だった僕は、少し背伸びをして、ちょっとずつ「洋楽」というものを聴き始めた頃だった。その頃クラスで人気があったのは、BonJoviやMr.Bigといったアメリカのポップメタルバンドばかりだったので、洋楽のロックといえば、ギターはいかにもエレキという風に尖った形(ストラトタイプ)をしていて、音はキュイーンと高めに歪んでいて、長髪で、メイクをしていて、革ジャンや派手な衣装を着ているイメージしかなかった。
そんな僕の目に、oasisは最初、かなり異様に映った。使っているエレキギターは丸みのある形(エピフォンやテレキャスター)をしているし、音はズゥゥンとやけに重いし、髪は短いし、着ている服は普通のシャツやジャケットだった。
けれど、曲はインパクトがあった。ノエル・ギャラガーの書くメロディはクリアで聴きやすいのに中毒性のある独特の節があって、それを歌うリアム・ギャラガーの声は無機的なのに粘っこくて耳に残った。何よりリアムの、あの死んだ魚のような目をしながら歌う姿が強烈だった。髪を振り乱しながら超人的な速さでギターを弾く、そんなパフォーマンスこそがロックだと思っていたのに、俯きながらギターを弾くoasisの方がずっとかっこよかった。
思えば、ブリティッシュロックへと通ずる道へと僕を導いてくれたのはoasisだった。外見や派手なパフォーマンスではなく、初めて音でロックスピリットを感じさせてくれたのも、ビートルズでもストーンズでもなく、oasisだった。
だが僕はその後、oasisの熱心なリスナーではなかった。oasisを追い続けることよりも、未知のバンドを知ることの方に夢中になったからだ。U2やレディオヘッド、REMといった、よりクセのあるバンドの方が魅力的に見えたし、70年代、60年代と遡れば、それこそかっこいいバンドは星の数ほどあった。そんな時期の僕にとっては、3枚目の『Be Here Now』も4枚目の『Standing On The Shoulder Of Giants』も、単に『Morning Glory』の焼き直しに聴こえた。昨年、ベストアルバム『Stop The Clocks』をリリースした時も、「ついにベストを出すほど落ちぶれたか」とネガティブな気持ちにすらなった。
新作『Dig Out Your Soul』を聴いたのは、「久々にちょっと聴いてみるか」という、ほんの気まぐれからだった。だが、1曲目の「Bag It Up」から圧倒された。クールに刻むドラムにリアムの声が加わり、徐々にギターの厚みが増していく。そして、コーラスパート前のブリッジ部分で、それまで静かだったメロディが、押し殺していた興奮を開放するかのように一気にピッチを上げて、リアムが乱暴に叫ぶ。このあたりのメロディとハーモニーは、いかにも「ノエル節」だ。
全曲通して強く感じるのは、ギター以外の音の存在感だ。特にドラムが重く、乾いていて、爽快なグルーヴを生み出している。相対的にノエルのギターは一歩下がった形になるが、それでも全ての曲は、紛れもなくoasisの曲になっている。これまでは、ノエルのギターとリアムのボーカルによって支えられてきた感があるが、ここにきてoasisという「バンド」のサウンドができあがったようだ。だがそれは、彼らが結成14年を経て得た円熟などではなく、むしろその逆で、よりバンドらしいバンドへと進む第1歩のように見える。